2011年2月21日(月)
「火振りかまくら」

角館では、毎年214日の小正月の日、藁紐の先に付けられた稲藁でつくった俵に火をつけぐるぐると回す「火振りかまくら」という伝統行事が行われます。400年前から伝わる伝統行事で、角館が在る仙北市の無形民族文化財に指定されているとか。神聖な火で田んぼの厄を祓い、五穀豊穣、家内安全、無病息災等を祈るものだそうです。

決して燻製になったタクワンを回すことではありません。

武家屋敷の門前には、雪燈篭が造られ、ろうそくの温かな灯がともされています。映画のロケで、ヒロインの生家となったといわれる「○○家」の前を通り、ホテルが在る地区の町内会主催の会場まで案内されました。案内役の方は横浜からの移住者だとか。当初は、春の花が一斉に咲く様に違和感があったと話されました。梅がほころび、桜が咲き、つつじが開くという順番は、寒い秋田の地では、整然とはならないようでした。ボブスレーのコースのような短い坂道を登っていくとカマクラが迎えてくれます。中央には水神様が奉られています。地元の方々は、次々に、自分の身体の回りに火の輪をぐるぐると作られています。会場のあちらこちらで火の輪ができる様は・・・、圧巻です。こどもたちもあちらでぐるり、こちらでぐるり、慣れた仕草です。おでんや焼き鳥、ビールやお酒が用意されています。ホテルから案内された観光客は10名ほども居たのですが、惜しげもなく振舞われ、「オセッタイ」されます。中央の櫓では、古いお札等も炊き上げられ、持参する人はビールやお酒を供えるしきたりもあるのかもしれません。

しきりに進められ、私も「火振りかまくら」初体験。火の中央に自分の身体を置く体験はもちろん初めてのことです。あっという間に俵は燃え尽き、邪念や業のようなものを焼き尽くすには、一回では足りなかったかもしれませんね。

この町内会では、前日等の休日に行われる観光行事としての「火振りかまくら」ではなく、地域の伝統行事として毎年14日に続けておられるそうです。雪で覆われた田んぼや畑には、藁を燃やした灰が残り、春の耕作を待つ土作りが始まっているのだと説明をしてくださいました。雪のかまくらに奉られた水神様には、豊潤な水の供給を願う気持ちもあるのでしょうか。

ようやく歩き始めたくらいの男の子を片手で抱っこしたお父さんがかまくらを回されています。お父さんが自分の幸せを祈って回してくれたかまくらを、あと何年したら彼が回すのでしょうか。そして、彼もまた、自分の子どものために火を回すのでしょう。先祖から受け継いだモノを大切にしている人たちは、自分たちの今の暮らしにも自信を持ち、訪問者とも、その「良いモノ」を分かち合える余裕をお持ちでした。

街は、お城に近い地域が武家、離れた場所が一般と居住地が分けられています。その境目には、火災を起しやすい集落から武家の居住地域へ火が燃え移らないように大きな道が作られ、今も残っています。私が招かれた町内会は武家の集落にありました。

稲庭うどんも美味しく、振る舞いのビールやおでんも美味しく、いぶりがっこもことの外美味しかったからだけではないのですが、機会があればもう一度訪れてみたいと思いました。(平生町社協:福嶋美奈子)

2011年2月18日(金)
「“火ぶりがっこ?」

秋田県の角館に行ってきました。昨年から学んでいる機関を卒業するための試験があり、受験のために仙台市へ向い、前後の日程の関係から、新幹線で1時間少々の彼の地に向ったのです。

以前から行きたいと思っていたのでも、知り合いが居るわけでもありません。東北地方の観光に関するホームページを開いていたら、定年退職後のメンバーを中心に「ホームスティ村」を開村し、旅人を持て成す活動を展開しているグループの紹介が掲載されていたからです。ついつい、角館の「はつらつとして人生」をお過ごしの方々にお逢いしてみたいと思い、伺うことにしたのでした。

角館は、『歴史ある武家屋敷と桜並木が美しい みちのくの小京都』等々の言葉で評され、「まちに桜があるのではなく桜の中にまちがある」と言われるほど桜で有名な場所です。雪にすっぽり覆われる今の時期は…、シーズン・オフのようで、駅前の観光協会で渡されたパンフレットに掲載されたお店の多くは休業中でした。車道は、脇に雪が積もっているせいか、とても狭く感じられました。慣れない雪道と格闘しながら歩いている私の脚にはおかしな部位に力がヘンテコリンに入っていて、車が通行するたびにはじかれる雪解け水を避けるにも必死の散策でした。

それでも、多くの武家屋敷は黒っぽい色が基調になっていて、雪の白と武家屋敷や芽吹きまえのしだれ桜の枝の黒が描くコントラストはなかなかの風情でした。休業中のお店が多く、遅い時間にはなりましたが、昼食の稲庭うどんの喉越しもよく、これで、秋田の銘酒があれば…、へっ、へっ、へっ、って感じです。

ホームスティ村の責任者の方は駅までお出迎えいただき、宿泊場所までお連れいただきました。しかし、一軒の家に私一人で泊まることになっていました。ホームスティですから、どなたかのご自宅に泊めていただくとばかり思っていましたが、サニアラズ。ここ数日宿泊されている、有名なスキーヤーの伴奏も勤められる方ご夫婦もその日はスキー場泊まりだとか。通された部屋には石油ストーブがひとつ。就寝時も点けたままにしないと寒いと説明を受けましたが、換気のために窓は少し開けておくようにとの注意も加えられました。家は大きく、廊下を進んだ先にお風呂やお手洗いがあります。点灯にはいくつかのスイッチを探しながらつけなければお手洗いには辿りつけそうもありません。

酒屋さんで地酒を購入し、お酒の勢いで寝ようかとも思いました。それでも、開閉時にとても大きく響く部屋の扉の音を「ギィー、ギィー」と聞いていると、とても心細くなってきました。明け方の外気はおそらく氷点下まで下がるでしょう。毛布と薄めの布団が見二枚。隣のベットにある寝具は自由に使っていいよとは言われていましたが、普段の平生の気温とは寒さが違います。朝まで過ごす自信を持つことはできません。

携帯で検索すると、部屋が空いているホテルも見つかりました。お世話をいただいた方に連絡をしホテルに移ることにしました。

「このまま、一人で過ごすと『角館』を嫌いになりそうでした」お世話をいただいた方も了承され、ホテルまで送ってくださいました。ホームスティを決めたのは、宿泊所の隣で小正月の伝統行事「火ぶりカマクラ」が行われると事前に聞いていたからです。一晩の寂しさは伝統行事の観覧に勝ってしまいました。

フロントに着くと、何やら人だかりが…。見れば、町内会の方のご好意で、その伝統行事にご案内いただけるとちらしがそこここに貼ってあります。突然にやってきた「幸運」フロント係りの方に「“火振りがっこ”はどこですか?」

フロント係りの方は「???」

秋田の名物である燻した漬物「いぶりがっこ」と伝統行事「火振りかまくら」が見事に私の中で合体。さすがにサービス業従事者。客の過ちを正すことなく、何事もなかったことのように「“火振りかまくら”でございますね」と、丁寧にご案内下さいました。いやはや、オハズカシイ。この「幸運」は「火振りかまくら」体験にもつながるのですが、それはまた、次回に。(平生町社協:福嶋美奈子)

2011年2月8日(火)
「緋寒桜」

大切な人にもう一度逢うために、沖縄へ行ってきました。

昨年のこの時期、この「ありがとう」でも、『学びの島』『おにぎりかまぼこ』等々の題で、何篇かご報告したように、名護市にある愛楽園で暮していらっしゃる方々とお逢いする機会を得ました。現在は国立療養所となっていますが、創設は患者さん達当事者の方々の強い意思で成ったと聞きます。かつて、らい菌に感染した経験をお持ちの方々が療養されています。

 ハンセン病はらい菌の感染によっておこる慢性の感染症です。感染力は弱く抗生剤の服薬で完治しますが、それらのことが判るまでは、手や足の指が欠落するなどの後遺症があることなどから、原因不明の怖ろしい病として患者さんや元患者さんは隔離されていました。1907年に「癩ニ関スル件」として旧法が制定されて以来、1996年「らい予防法の廃止に関する法律」が制定されるまで、強制的に収容される政策が取り続けられていたのです。

 1998年、熊本地方裁判所に、らい予防法違憲国家賠償請求訴訟が起され、ハンセン病に罹患した患者を伝染のおそれがあるとして隔離することを認めた同法が、日本国憲法に違反するとして提訴されました。国は上告をせず、2001年には原告全面勝訴の判決が下り、「ハンセン病療養所入所者等に対する補償金の支給等に関する法律(2001年成立)」により、元患者等に賠償金が支払われることになりました。

昨年愛楽園に伺った際、それら訴訟の原告でもあった方にお話をお聞きしていました。「ハンセン病は、生命の維持に支障があるような怖い病ではないので、罹患したこと自体は他の疾患への罹患と比較すれば、特別不幸だとは思わない」と穏やかな口調で話始められました。辛苦は、罹患によって社会との関係を断絶されたことだったと。隔離政策により療養者への強制入所をおこなった、「らい予防法」は、許せる法律ではないけれども、その強制入所によって「孤独から解放された」喜びを感じたとおっしゃったのでした。

人は、生まれてくる時もひとり、死んで逝く時もひとり。どんなに希(こいねが)っても決して誰かと同一になることはできません。本来、孤独な存在であると言われる方も少なくありません。そして、孤立していれば、誰かを傷つけることも、誰かから傷つけられることもありません。傷つけられることも傷つけることも承知できない人が増えていることが、現在社会の課題のいくつかを生み出しているのかもしれませんね。

私は、社会福祉とは人を孤立させないことだと思っています。「孤独」は、私にとっては「社会福祉」や「福祉」を考える基盤のひとつです。でも、人生のほとんどを療養所内で生きることを強制された隔離政策であったにも関らず、そのことを喜びと受け止める「孤独」を、その方にお逢いするまで知りませんでした。「社会福祉」や「福祉」を考えようとすると、人間にとっていかに「孤独」が耐えられない状況であるかを私に教えてくださった方に、再びお逢いしなければなりませんでした。ここだけではなく、別の稿でもご紹介したいと考え、その前にご了解をいただくために沖縄へ行ってきました。文章と手紙を送付することも考えましたが、それではお気持ちを察することができないと思ったのです。

昨年同行した職員からは、自主研修会ではありましたが愛楽園の歴史等について報告会を開催していましたので、旅程を決める頃から、同行を希望する職員を募っていました。数名の職員と一緒に、今帰仁村の古宇利島とを結ぶ白い橋を背景にいくつかの小さな島が湾に望める大堂原(うふどうばる)と呼ぶ場所に立つことができました。1935年、近くの無人島からこの地に十数名の方が移り住まれた時からこの療養所の歴史は始まりました。

その創設の場所には、『声なき子供たちの碑』が在ります。法律によって葬られ、産声を上げることができなかった子供たちの慰霊碑です。アウシュビッツで人の脂肪から石鹸を作った「にんげん」は、たぶん遺伝するだろうからナキモノにしようと思ったのでしょうか。石鹸の考案者も、法律の発案者も、私と同じ「にんげん」であることを、私は認めなければなりません。

一年過ぎても、『子供たち』に対峙する強い気持ちを持つことはできませんでした。それでも、その存在を「知らなかった」何人かの人に伝え、「知らせる」ことはできたのかもしれません。

沖縄では、緋寒桜(ヒカンザクラ)が満開でした。「彼岸桜」と聞き間違えることがあることから寒緋桜と表記することもあるそうです。寒いと開花する桜は、北部から開花が始まるようで、一月下旬から開始されていた各地の「さくら祭」は終りの時期を迎えているようです。桃の花を思わす濃いピンク色の桜は、咲き誇った様ではなく、やや下向きに花びらを中開きにしています。昭和30年代には1,000人近くの人が暮していたと聞く園の庭にも緋寒桜が咲いていました。現在の入所者は200人強、幾つかの棟が取り壊される工事が始まっていました。私は、あと何回、園で咲く緋寒桜と逢えるのでしょうか。(平生町社協:福嶋美奈子)

2011年2月3日(木)
「サービス」

今日は節分。暦の上では、季節がひとつ進みます。山口では、例年になく寒い一ヶ月が過ぎましたが、2月に入って一転、3月下旬並みの気温まで上がっています。

とは言え、大雪に見舞われた地域の方々の雪との闘いはまだまだ続きます。温暖な平生で暮らす私には、降雪による生活への影響を想像することはできませんが、気温が上がれば雪崩による被害も起こってくるのでしょうか。新燃岳の噴火による被害も拡大しています。ニュースのトップは何れかですが、各地で鳥インフルエンザ感染も拡大しているようです。当該の市区町村社協では、関係者や職員さん方が様々な援助を継続していらっしゃるのでしょうね。

買い物に不便を感じる人が増加することを見越して、大手のコンビニエンスストアーが通信分野の企業と提携して、端末で注文した商品を宅配するサービスを試験的に開始したと報道されていました。高齢者へのサービスが福祉サービスから社会サービスへ変貌していく様を示されたかのようです。

介護保険制度の導入は、高齢者に対する福祉サービスを国家による保障から国民相互の保障に切り替えたということだったのでしょうか。被保険者の保険料負担の割合は、高齢者の増加や社会の変化等により変動させることは可能です。消費が伸びない理由は、購買モデルをこれまでの「若い人」向けから「高齢者」向けに変化させていないからだとの指摘を耳にしました。人口の割合、保有財産の割合等々考えれば、「高齢者」向けの商品開発や専用の販売ルートの開発等に着手した企業が業績を伸ばしていくのでしょう。「“おじいちゃんと孫”ハンバーガー」の成功例もありましたね。10年以上前でしょうか、高齢者擬似体験プログラムなるものを社協で購入し、加齢に伴う身体機能の変化を体験するという講座の開催を開始しました。高齢者の行動の不便さ等を理解し、加齢に対する誤解や偏見を払拭したいと思ったものでした。それらの変化や特徴を商品開発のヒントにし販売促進を図る時代になっているのですね。加齢による身体機能の変化による生活のし辛さが解消、改善される社会の構築は結構なことでしょう。後を絶たない高齢者を対象とした詐欺事件の犯人は、いち早く時流を読んだのかも…。

介護保険制度の開始により、サービスの提供主体も多様化しました。それまで、社会福祉法人等が行っていた介護サービスは、一般企業も行えることになりました。予想を上回る要介護等の認定者の増加は、提供主体の多様化によってある程度は予測されていたのでしょうか。税制度上優遇されている社会福祉法人の踏ん張りが思ったほど足りていないとも解釈できます。そんなゴミゴミしたことではなく、高齢者へのサービスは、「老人福祉」の制度の中だけでは考えて行かないということの表明だったのかもしれません。  

社会福祉の「対象」について、考えたことがあります。これまで私が“普通に”「対象者」と思っていたのは、社会福祉に関係する各法に定められた制度等を利用するための資格を示すものでした。限られた範囲を示す「対象」者を、その人全てでもあるかのように錯覚していたことも否めません。それは、「社会福祉」を法や制度・政策の範囲で考えていたからです。「対象」を考えるには、「社会福祉」をどう捉えるかを先に考えなければならなかったのです。「福祉」を人のしあわせと読み、「社会福祉」を人間の関係性の中で生きる人のしあわせと読めば、その範囲は広がり対象は全ての人になりましょう。きっと、後者を社会福祉に含めることに反対の方は多いでしょうね。社会福祉以外の分野のことだとされがちです。私は、社会福祉に関する勉強を積み重ねて来た者ではなく、社協という実践現場で時間を過ごして来た者ですから、“しあわせ”としか読めないようです。

「老人福祉法」は、“高齢”であることが、国家が保障しなければならない程度の生活のし辛さに達することを前提としているとすれば、加齢によってもたらされる全ての事柄を国家―社会連帯の精神に基づいて国民―が責任を負う範囲か否かの判断が示される時が来ているのでしょうか。すでに、社会は変化しているのに、根幹に関する議論はなされないままのように思うのは、世情に疎いから?私が知らないところで、有識者によって既に結論が示されているのかもしれませんね。加齢は自然現象でもあります。国家保障の対象を限定する際には、過去の社会的貢献に対する敬意とは分離して考えなければ歪が生じるでしょう。(平生町社協:福嶋美奈子)

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