先月の日記
2011年3月31日(木)
「ありがとうございました」

始まりがあれば、必ず終りがあります。

昭和606月、私は、平生町役場の庁舎の一室に在る『平生町社会福祉協議会』の扉を開けました。直前に参加した研修で、インド等を訪れ各地の施設等にタオルや石鹸といった物資を届けていましたので、当時の関係者の方々が、「福嶋は、ボランティア活動や社会福祉の仕事をしたいと思っているのだろう」と思われたことから、私の“社会福祉”への関わりが始まりました。それを「誤解」と言うことは、今日まで、ご指導くださった方々、一緒に働いてくださった職員や関係者の方々、社会福祉に関する従事者の方々へ対しても、失礼なことではありましょう。それでも、それが「始まり」でした。

同じ頃に県内の市町村社協の職員として就職した人たち同様、労働条件や環境は決して良好とは言えないものでしたが、多くの方々との出逢いがあり、気がつけば長い時が過ぎました。当時6名の職員と始めた活動は、今は100名近くの仲間に囲まれて進めることができるようになりました。

楽しいことや嬉しいことばかりだったときれいごとを申し上げるつもりはありません。悔しいことや嫌なこと、苦しいことや辛いこともたくさんありました。でも、振り返れば、お逢いしたおひとりおひとりとのかけがえのない大切な出逢いやお教えいただいた多くの事柄を糧に、日々を過ごさせていただいたと思っております。そして、在職中、平生町にお住まいのひとりでも多くの方に、「“ひらお”に暮していてよかった」と思っていただけるために、社協としてできることを考え、社協職員として小さな取り組みを実直に重ねることを常に心掛けて参ったと自負しております。私の人生のプログラムに組み込まれていて良かったと思える年月でした。

私が人として生まれてこれたことや、父と母の子どもとして兄や姉の妹であったことが、私の意思を伴う選択によるものではなかったように、自分自身で決めることが可能な事柄は限られています。限られているからこそ、その機会が貴重でもあります。

社協職員として、多くの社会福祉援助の現場に立たせていただいたことは、可能な限り自分の意思でものごとを決めるということが、いかに重要であるかを学んだ過程でもあったと思っています。決して逆戻りすることができない時間の流れの中で、選択肢を持つことの幸いを尊び、自分で納得した選択を重ね、可能な限り自分自身を活かすことが人生を全うすることというのかもしれません。何を食べるか、何を着るかといったささやかな決断の積み重ねが暮らしであり、生涯でもありましょう。自分の人生の主役は、自分以外にはいません。被援助者の主体としての認識をいかに構築するかが、援助者の力量を問われる最大のポイントだと私は思っています。

平生町社協の未来を見定めた結果、就業規則等で定められた区切りではありませんが、一旦ここで、『了』とすることを決めさせていただき、本日をもって退職させていただきます。これからは、平生町社協の一応援団として、益々のご発展を祈らせていただきます。

本日まで、『ありがとう』をお読みいただき、本当にありがとうございました。深謝いたします。また機会があれば、福嶋美奈子の『ありがとう』をお読みいただけるよう精進を重ねてまいります。

どこに居て、何をしていても、みなさまのご多幸を心からお祈りいたしております。

ありがとうございました。(平生町社協:福嶋美奈子)

2011年3月30日(水)
「“与える”」

 3週間近くが過ぎました。連日報道される被災地の様子は、痛く、重いものです。それでも、報道では伝えられていない惨状が現実であると聞きます。テレビの画面からは、気温の低さや風の冷たさ、その場所のにおいは伝わりません。

 日本だけではなく世界中の人たちの多くが、自分ができる“何か”を探しているといっても過言ではないのかもしれません。

 災害発生直後から海外で活躍しているスポーツ選手が、悲痛な面持ちでインタビューに応える映像が流れていました。ユニフォームに喪章を付けて試合に出場した選手や、「サッカーしかできないので、サッカーをすることで、何かをしたい」といったコメントを告げた選手もいました。昨夜はサッカーのチャリティーマッチも行われました。

選抜高校野球大会への参加が決まっていた宮城県の東北高校の選手たちは、震災後、練習を休み水やガソリンを運ぶなどの支援活動を続け、最後まで出場することの是非を問うていたとか。一回戦で敗退しましたが、チャンスで充分に活躍できなかった選手は、それでも精一杯、一生懸命、野球をした自分たちの姿を被災された方々に見ていただけることができたといった内容の感想を、涙を湛えながら述べていました。

 「勇気や希望を“与えられる”ように」という言葉が気になって仕方がありません。単に“与える”という言葉が嫌いなだけなのかもしれません。受けた方が「与えられた」という場合と渡す方が「与えた」という場合の違いもあろうかと。被災後に受験した試験に合格した少女が、瞳を輝かせて「勇気を与えられる○○になりたい」と美しい声を張り上げていました。満面の笑みで胸を張っている姿を見て、少し気持ちが萎えてしまいました。

 先の高校野球の選手は、自分たちのプレーから何かを「感じていただきたい」といった表現をされていました。選手も少女も思いに違いはないのだろうけれども…。

 未曾有の大惨事に際し、どうでもいいことに拘る必要はないのかもしれませんね。そんなことよりもしなければならないことや気を配らなければならないことがあるでしょう。自分にできることを私も行ってまいります。(平生町社協:福嶋美奈子)

2011年3月14日(月)
「14時46分」

大変な災害です。被害に遭われた方々へ心からお見舞い申し上げると共に、お亡くなりになられた方々に深い哀悼の意を表します。

安否の確認ができない友人、知人も多く、ただただ無事を祈っています。

社協としては、義捐金の受付を開始いたしました。また、「あいあむ」内に、情報掲示板を設け、適宜、災害ボランティア活動等に関する情報提供を行ってまいります。現時点では、自分たちにできることを僅かずつでも重ねて行こうと考えています。

しばらくの間、『ありがとう』の更新は、お休みいたします。(平生町社協:福嶋美奈子)

2011年3月11日(金)
「『協議体』と『事業体』」

日本は、太平洋戦争敗戦後から1952年のサンフランシスコ講和条約の発効によって主権を回復するまでの間、占領下にありました。社会福祉協議会の誕生は、連合国軍最高司令官総司令部(「GHQ」)の提案が深く関っています。戦前の支配階級による慈善や善意、贈与によって成立している公的扶助を、文明的、民主主義的制度へ転換することが大きな課題とされていたようです。そのため、全国や都道府県に、自主的に社会福祉活動を展開する民間の協議会を設置するよう当時の厚生省に求めました。

それは市町村を単位とする社会福祉に関する事業の振興連絡機関の創設を求めることに発展し、任意団体として社協が誕生しました。GHQとその占領下における政府の働きかけによって整備されたと、私はその間の歴史を解釈しています。住民が自らの生活上の課題を意識し、組織的な活動等を通じて解決していくことやそれを目的とした組織の創立を、敗戦後の混乱期にある国民が受け入れることは容易ではありません。設立から相当の年月が経過してはいましたが、私が入職した頃の平生町社協では、「住民主体」の組織にあって、いかに「住民主体」を達成するかが重要な課題であると感じていました。私にとっては、「社協=矛盾」からの出発でした。

都道府県社協の連合体でもある全国社会福祉協議会では、市町村等の社協のあり方に関する指針となるものとして、「社会福祉協議会基本要項(1962年)」「新・社会福祉協議会基本要項(1992年)」等を示しています。「新・基本要項」では、それまでの「協議体」と「運動体」に加え「事業体」としての役割を加えたといわれています。地域福祉を推進するために関係者が「協議」を行い、住民が主体的に参加する「運動」を行うとともに必要なサービスを提供する「事業」を行うというものです。

私は、「協議」と「運動」は馴染みやすいけれども、「事業体」を加えるか否かについては、その組織内で、充分にそれこそ協議する必要があると思っています。判断は、その組織、市区町村社協が、「地域福祉」をどの範囲で、どのように展開しようとしているかを基準に行われる必要があるでしょう。公的介護保険制度上の介護等のサービスを提供するのであれば、特に充分に協議した上で方向性を定めておかないと、釈然としないものを抱え続けることにもなり、なによりも従事する職員を混乱させることになります。その混乱は、「協議体」部門で働く職員と「事業体」部門で働く職員との意識にも及ぶと考えています。本来、「協議」「運動」と「事業」を同一組織の中で混在させることは、構成している人たちが、納得できる理由付けをするなどの取り組みが加えられなければ、“普通に”していたのではでき難いでしょう。その協議が不充分なまま実施していると隔たりは大きくなることはあっても小さくなることや消滅することは、おそらくないと私は思います。そして、充分に協議されたとしてもそれらは決して交わったり、同一になったりするものではないとも。

それでは、分割すればよいかといえば、サニアラズ。異なった性質を併せ持つところに妙味があります。様々な性質を持っているからこそ出来ることが増えていきます。私たちの周りで起こるできごとは、○か×かで割り切れることばかりや、完全正解が用意されたものばかりではありません。自分とは違うモノを受け入れることや認めることが、そのモノの存在を尊重するということでしょう。多様な受信装置を持っていれば、聞こえる声も増えていきます。社協とは、いつも矛盾を抱え込み、「あいまいさ」を持つことが性質や特徴のひとつではないかと思っています。(平生町社協:福嶋美奈子)

2011年3月10日(木)
「“それでいいんだよ”」

事業報告会の話題をもうひとつ。

研修委員会の取り組みは、事業部の全職員出席で年4回行っている研修の企画立案に関する報告でした。これまでも企画や運営を担当する研修委員会を置いていましたが、今年の特徴は、必ず“事前”の仕掛けづくりをしたことでしょう。研修会に先立ち、アンケートやワークシートを各自に配布し、予習して研修会へ参加する仕組になっていました。研修会に参加する前に「動機づけ」が行われ、その「動機」は、何人かの職員にとっては参加意欲を増すことになったでしょう。“全ての職員”ではないことは承知しています。参加意欲は、受動的ではなく能動的な姿勢につながります。

介護等の現場では人材確保が課題として取り上げられ、需要の拡大に加え、離職率の高さに注目が集まっています。離職率の高さを賃金改善により対処しようと、「処遇改善交付金」の制度も開始されました。業務内容に見合った賃金になっていないのであれば、適切な賃金になることは大切ですが、それだけが課題ではないでしょう。

私は、介護現場等で職務に従事する職員は、自分が行っている個別のケアを“確認”する機会を求めていると思っています。不安を解消する仕組がないことは、「辞めたくなる」理由になり得るでしょう。日常の排泄や食事等のケアは、その作業だけを切り離して取り上げると、どのような“社会的”価値や意義が在るのかが、わかり難くなってしまいます。また、ケアの現場では、おひとりお一人のお客様へ、ひとり一人違ったスタッフが対峙します。同じケアの提供は不可能です。正解のケアはなく、最善(と、提供者が思う)ケアが在るのみです。「最善」であったか否か、組織の基準に到達していたか否か、不充分であるとすれば、どこがどのように足りていないのか、等々を確認する場や機会が必要です。自身が納得するだけではなく、誰かからの同意や承認等が欲しいものでしょう。それには、組織や部署のサービス内容に関する基準とそれに基づく判断が必要です。それぞれの分担の中での責任者の役割は、「それでいいんだよ」を職員にきちんと告げることでもあります。もちろん、○○を△△に改善してみることの気付きを促すことや提案も含めて、です。

本年度の研修では、グループワークも組まれていましたが、「様々な意見があり、もう少し時間が欲しい」「他の部署での取り組みを知ることができた」等のアンケートも寄せられていたようでした。内部研修は、「それで、いいんだよ(「○○の改善」も含めて)」を互いに言い合う、確認し合う場所でもあるようです。職場内の研修実施は、知識や技術の修得だけが目的ではなく、個々のモチベーションを上昇あるいは維持することも含まれましょう。漫画の主人公のパパみたいですが、「それでいいのだ」ですね。

様々な効果を導きだすために、研修委員の3名が費やしたエネルギーは、相当のものでした。費やしたエネルギーを補う以上の充足感を獲得できた経験であって欲しいですね。(平生町社協:福嶋美奈子)

2011年3月8日(火)
「日常」

新しい年を迎えて、年度末までの3ヶ月。例年、行事が目白押しになります。週末の開催も多く、日曜日の帰宅時には「明日は、月曜日よ」と職員同士で申し合わせをしながら帰路につきます。

先月の最終日曜日は、職員の事業報告会を開催しました。今年の報告者は7名。今年度各自や各部署で取り組んだ7事業が報告されました。

昨年度に続き2回目の開催ですが、通常業務の改善点や、重点的に取り組んだ事業の振り返り等も盛り込まれ、内容は充実してきたと自負しています。本会は、企画総務部、事業部、就労支援部の3部体制にしています。2つの部と比較して、日常的な業務を展開することが主となりがちなのが事業部です。安心・安全な良質のサービスを日常的に提供することが最優先されます。もちろん、昨日と同じ業務を繰り返し、昨年と同じ行事を堅守しているわけではありませんが、変化には長い時間を必要とし、尚且つ客観視することが困難で、そしてとても微細です。報告としてまとめることも困難でもありましょう。それでも、今年の3つの報告は、頼もしく、そして力強いものでした。  

報告は、研修委員会の取り組み、ケアマネジャーの事例検討会、デイサービスセンターでの取り組みの3例でした。

居宅介護支援事業所のケアマネジャーの事例検討会へは、私も毎回出席させていただきました。報告の内容は、検討会の開催内容と、検討会で取り上げた事例のその後を紹介し、検討会の効果が示されていました。対人援助の現場では、同じ“援助”が行われることは不可能で、組織としての標準を構築し難い要因のひとつでしょう。可能性として、事例検討を重ね、それを判例のように蓄積しておくことではないかと思っています。来年度はその事例の蓄積を意識的に行うようお願いしておきました。

デイサービスセンターの取り組みは、あるお客様が過ごされている日常生活上の様々な困難を、業務の範疇としてなんとか克服しようという意欲的な取り組みでした。担当した職員は多くの部署に及び、業務の範疇を個々の部署が少しずつ拡大し、協力して取り組んだようでした。数ヶ月後のお客様の笑顔は、関係した職員が総合力で獲得した勲章かもしれません。みんなの少しずつの踏ん張りは、大袈裟ではなくそのお客様の日常をかえたと私は評価しました。その笑顔をこれからの自分たちの業務への自信と昇華させることを、これまたお願いしておきました。

社協には、個別支援と地域組織化の支援とを併せて求められているとか。私は、それを一人の職員やひとつの部署で担うのではなく、事務局組織として展開することを考えたいと思っています。事業部の職員の業務は、地域福祉を推進する業務の中の個別支援を行う活動であるという位置付けを組織として行っておくことで、職員は自分の業務の範疇を設定できるものかもしれません。(平生町社協:福嶋美奈子)

2011年3月3日(木)
「刑務所にないもの」

 16年前の33日おひな祭りの日、ボランティア連絡協議会主催で、「第一回 ひらお ふれあい広場」が開催されました。日頃異なった活動を展開しているボランティアが一同に会し、交流と自己研鑽を図ろうと開始されたボランティア研究集会です。今年も今週末に開催されます。参加予定者は、230名。午後の部に出演していただく、周南市に活動拠点をおく『楽団 みかんの花』のコンサート関係者を含めると280名。平生町社協御用達の「大釜豚汁」は、なんとかひと鍋で足りそうです。今年のおひな祭りの本日、最終の役員会が開催される予定です。今年の旧暦での桃の節句は45日だとか。その頃には満開になる桃の蕾はまだ硬いようですが、梅の花はそこかしこで白や桃の彩を添えています。少し強くなった陽射しがさす場所では蕗の薹も淡い緑を湛え始めているのでしょうね。春はもうすぐのようです。寒の戻りで気温は低めですが、なんとなくほんわかとした心地がしますね。

ここのところ、文章をまとめる作業が取り込んでいて、この「ありがとう」もアップが滞りがちで、すみません。雑誌や書籍を読むことからも少し遠ざかり「ツンドク」状態でした。

冤罪を防ぐため等、検察改革が話題になっています。取り調べの状況をビデオ撮影するなどの可視化に関する是非が問われているようです。自白を導く取調べと、裏付ける物証探しとにかかる労力はどちらが大きく、どちらが困難な作業なのでしょうか。少しニュースを聞いた位では、私にはよくわかりませんが、自分の行動や思いをきちんと伝達でき難い方々と接することが多い私たちとしては、犯罪に巻き込まれてしまうことや犯人に仕立てられてしまう危険性を常に感じています。「社会福祉」に携わろうと思うのであれば、当然視野に入れなければならない事柄です。

全社協発行の『月刊福祉』3月号に掲載された高齢者の犯罪に関する龍谷大学浜井浩一先生の論文(「高齢者の犯罪−再犯を防ぎ、孤独を防ぐ支援のあり方(pp4445『月間福祉20113月号:全社協発行』))を拝読しました。本来は円熟期を迎え犯罪から遠ざかるはずの高齢者の検挙や受刑者数が増加しているのだそうです。単に、高齢化による影響だけではないことは諸外国と比較され否定されています。刑事司法上の課題もあるようですが、日本の犯罪者の80%は、罰金または不起訴になっているそうです。ただ、その8割に入れるのは、示談金や賠償金等が用意できる人、謝罪できる言語能力がある人、引受人が確保できる人、なのだそうです。(そういえば、芸能人の保釈金の額に驚くことも…)それらの確保が難しいと実刑になるって、黄門様の印籠は現代にはありませんね。警察等の調査を例示され、高齢者の万引き等の背景には、経済的困窮だけではなく社会的孤立があり、衣食住の確保だけではなく、同じ境遇の仲間の存在を求める“寂しさ”が刑務所に戻ることを望む根底にあると指摘されています。

「ひらお ふれあい広場」に集われる230名の方々は、230人の交流やふれあいを求めてお集まりいただきますが、各々の生活の中では、多くの人々とつながりを持っておられます。230人いらっしゃれば、230のネットワークがあります。互いに労り合い、存在を認め合い、役割を果たし合う他者の存在は、自分を護るものでもありましょう。気の合う人との交流は、気の合わない人をはじき出す場合もあるかもしれませんが、「はじき出した」という意識は存在し、それは決して“無視”している状態ではありません。「はじき出し」ながらも見護る行為は付加されています。

論文は、私たちが暮らす社会にはあって、刑務所にはないものは、孤独死だと結ばれています。(平生町社協:福嶋美奈子)

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